モスタル(ボスニア・ヘルツェゴビナ)
ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボから南へ約100kmのところに位置するのがモスタル(Mostar)です。
高い山に囲まれ、町の中央をネレトヴァ川が貫き、その両岸を美しいアーチを描いた橋『スターリ・モスト(Stari most)』によってつながれている町です。
モスタルは、オスマントルコ領であった15世紀に町が作られました。1878年にオーストリア・ハンガリー領となり、第1次世界大戦後にユーゴスラビア王国領になります。第二次世界大戦中にドイツに占領され、戦後ユーゴスラビア連邦人民共和国、さらにユーゴスラビア社会主義連邦共和国となっていきます。
1992年にボスニア・ヘルツェゴビナが独立を宣言すると、モスタルはユーゴスラビア連邦軍の攻撃を受け、ボスニア人とクロアチア人は町を守るため協力して防衛にあたります。内戦が勃発すると、クロアチア人とボスニア人が「民族浄化」の名のもとに モスタルに居住していたセルビア人のほとんどを虐殺するか追放し、セルビア正教会の聖堂や修道院はもちろん、住宅や墓地に至るまで全ての物を破壊しつくしました。モスタルの象徴であったネレトヴァ川にかかる橋「スターリー・モスト」も、この時期に破壊されました。
およそ3年半以上にわたり全土で戦闘が繰り広げられた結果、死者20万、難民・避難民200万が発生したほか、ムスリム人女性に対するレイプや強制出産などが行われ、第二次世界大戦後のヨーロッパで最悪の紛争となりました。
1994年に停戦が行われ、町の復興が開始されます。モスタルの町の由来ともなった橋「スタリー・モスト」も2004年春に復旧工事が完了し、橋とその周辺は、2005年にユネスコの世界遺産に登録されました。