アユタヤ遺跡(ワット・ロカヤスタ)
バンコク3大寺院を観光後、昼食を食べた後はアユタヤへ。
アユタヤ(Ayutthaya)は、バンコクから車で約2時間、およそ80km北に位置する古都です。アユタヤ王朝の都として、1350年から約417年間にわたり、35代の王がこの地でアユタヤ王国の歴史を築き、チャオプラヤー川と2つの支流が合流する地勢を活かして水運交易で発展し、ヨーロッパと東アジアを結ぶ国際貿易都市として繁栄しました。その後ビルマ軍からの度重なる交戦で衰退し、建造物の多くは徹底的に破壊されました。現在は、当時の遺跡が歴史公園として保存され、世界遺産にも登録されています。
当時の姿を伝える壮大なアユタヤの遺跡群は、 川に囲まれたアユタヤ島とその周囲に集中しています。かつて王室儀礼が執り行われ、歴代3人の王が眠っている王宮寺院の『ワット・プラ・シー・サンペット』、初代王ウートンの菩提寺『ワット・プラ・ラーム』、長い年月ののち木の根で覆われてしまった仏像の頭が残る『ワット・マハタート』、凄まじい王位継承争いで亡くなったふたりの兄のために8代王ボロムラーチャー2世が建立した『ワット・ラーチャブラナ』、アユタヤの空の下で悠々と横たわる巨大涅槃仏がある『ワット・ロカヤスタ』など、「コ・ムアン」と呼ばれる島状の中心部に広がる歴史公園には、アユタヤ王朝の繁栄ぶりを偲ばせる多くの遺跡があります。
まずは、アユタヤ島の西部に位置する『ワット・ロカヤスタ』に行きました。
『ワット・ロカヤスタ(Wat Lokayasutha)』は、全長約28m、高さ5mの巨大な涅槃仏が有名な遺跡です。建設は後期アユタヤ王朝中期で、当時は他の仏教施設もあったというが、今は近くに一つの仏塔を残すのみとなっています。アユタヤ王朝陥落時1767年に大部分がビルマ軍の破壊に合い、1956年にタイ芸術局により復元されました。
野外にある涅槃仏のため、塗装がはがれてしまっている部分が多くありますが、野原にこれだけ大きな仏像が横たわっているのは大迫力です。
「ワット・ポー」にある涅槃仏は、涅槃に入る直前の状態の為、目が半開きの状態なのですが、ここの涅槃仏は完全に目を閉じているので、本当に寝ているみたいです。
巨大な涅槃仏の前には小さな涅槃像があります。自分の体の悪いところがあれば、この仏像の体の該当箇所に蝋を垂らし、その上から金箔を貼り付けると患部が癒されると言われています。
涅槃仏(ねはんぶつ)は、釈迦が入滅する様子を仏像としてあらわしたもので、寝仏、寝釈迦像、涅槃像とも呼ばれます。 「ワット・ポー」で見られる、目を開いて横たわっている場合は、最後の説法をしている様子で、ここの涅槃仏のように目を閉じて横たわっている場合は、全てを終えて入滅する様子を現わしていると言われてます。右手を枕に頭は北向き、顔は西向きに寝そべった姿があらわされています。この姿勢から、一般に人が亡くなった時に北枕に寝かす由縁になったと言われています。
涅槃仏の背後には、かつて存在していた寺院が遺跡となって残っています。